おそーしき

夜食を買いに行く途中でぼんやりと立ち止まった交差点の手前に葬式の看板を見つけました。駅前とか大通り沿いによくある「㊥山家式場」って書いてあるアレです。目の前で見つめてみるとえらい達筆なんですよね。楷書とも言いがたいけど、適度にくずしてあり、基本はきっちりとできてます。これは一体誰が書いたのかと、まさか葬儀屋のおっさんが見よう見まねで書いたんじゃないよなぁと、感心してそれを見つめてしまいました。
思えばとんと久しく葬式には出てないですね。「弔問外交」という言葉がある通り、葬式にはいろんな人が来ます。6歳の時に亡くなった祖母の葬式などは、家が本家だったため、祖父の兄弟9人を筆頭にその親族から遠い親戚まですごく沢山の人が来ていた覚えがあります。田舎の家から墓場まで、ドリフに出てくる"幽霊"が頭につける三角の紙をつけて、祖母の棺を担いだ行列が道を行進しました。墓に棺を入れた後、その上に一生懸命土をかけました。(祖母は土葬でした。この話を人にすると、スズメの丸焼きを食べることと同じぐらいビックリされます)そして強く覚えているのが、本葬の前の日に近い親族だけ集まって、祖母に死化粧をほどこしたこと。すごくキレイな死に顔で、6歳の私は漠然と、「死ぬのに何でお化粧をするのかな?」と思ってました。
ありきたりですけど、葬式っていうのは生きてく人のためにあると思います。大切な人がもう目を醒まさないことに折り合いをつけること。幼い私の葬式の記憶はそんな一連の"儀式"のようなイメージで、火葬場で酒飲む大人がひどくフシギな生き物に見えました。
というワケで、仕事を理由に法事をサボるのはもうやめにしたいと思います。