イラク問題を考えよう☆

友人(イガグリくん)の紹介で、今年4月にイラク武装集団に拘束された高遠菜穂子さんが出演する講演会を見に行ってきました。
会場は東京・中野区のなかのZEROホール。1階席は満員で立ち見あり、2階席は7〜8割埋まっていて、入場料¥1,000なのに1000人は入ってました。ムービーカメラは11台(CNNあり)、スチールは見えないけど多分たくさん、私が座っていた階段の横には“中東アフリカ1号”と書いたボイスレコーダーを持ってる記者がいました。私も一応メモってましたが、会場には真剣にメモってる一般人らしき人がけっこういました。ムービー回してる人や写真撮ってる人も。年齢層は高めで、中高年が多かったけど、たまに若い人もいました。

以下は、私が直接聞いた3人のお話要約です。㊥山エディションなため、多少ニュアンスが変わってしまうこともあるやもしれません。

今井紀明さんのお話

  • イラクに行った理由について・・・劣化ウラン弾のことを取り上げ、写真で絵本として紹介しようとした。(今井さんはライターらしいです。職業なんですね)
  • イラクで拘束された時のマスコミ報道について・・・『週刊新潮』で“革マル”って書かれた(笑)そうで、他の雑誌とかでも“赤”と扱われた模様。「平和を望む者を一緒くたに"左”として、負者の論理として、異質な存在として扱ってるけど、それはどうなの?」と。
  • イラクで拘束された体験について講演するのは3回目・・・自分がイラクの現状を語るのはおこがましい。今はもっと勉強したい。
  • 自己責任について・・・マスコミが“自己責任”というのを増長させているのが一番問題だと思う。戦地に赴く前に一筆書こうかとも思ったけど、知ってるジャーナリストに「国家が自国民を守ることは義務、その義務を放棄させるな」と言われた。国民が自由な場で動くことは必要だと思う。
  • つまり何を言いたいかっていうと・・・イラク戦争への意思表明は大変だけど、自分の趣味でもいいから広げてって欲しい。

■田保寿一さんのお話
田保さんはジャーナリストで、ここでは主に2003年10月、イラクナジャフでの取材から映像を見せながらお話してました。つまりは、日本人が武装集団に拘束された事件の背景についてのお話だったワケです。ファルージャの街が特異であることや、そこが米軍撤退運動の最前地であり米軍と住民との衝突が最も激しい地域であること。アメリカ民間人が殺された事件をきっかけに米軍が街全体を包囲し、犯人を炙り出すために空爆を含めた大規模な攻撃を行って、ほとんどの無関係な民間人を含む多くの人が殺されたそうです。そして、イラク全土でこういうことが行われていて、ファルージャは一番残酷に殺戮が行われていたところである、と話していました。

高遠菜穂子さんのお話
まずは「心配かけてごめんなさい」と謝罪、それから「人質救出に尽くしてくれてありがとう」とたどたどしくお礼を言ってました。話の途中で何度も深呼吸をして、とぎれることもしばしば。言葉を選んでいるというよりも、緊張や動悸を静めているように見えました。

バクダッド陥落後に高遠さんが初めてイラク入りしたのはファルージャ総合病院。高遠さんは、他のNGOと連携してアンマンで買い付けた薬をイラクへ運んでいたそうです。バクダッドの病院は首都だけあってわりかし物資が行き届いていたけど、ファルージャの病院は「素人目に見てもヤバかった」。
2003年の10〜11月、住民による抗議デモと米軍の攻撃の繰り返しで、ファルージャは最悪の状態だった。けど、米軍がそーゆーことしてることが全然報道されない。「どういうふうに、彼らの感情を皆さんに伝えればいいのか、今でもわかりません。当時は現場で(米軍による具体的な殺戮の)話を聞いてるだけで気分が悪くなってトイレにかけこんだりした」
自身も検問で恐ろしい体験をして、途中で嗚咽を洩らしました。米軍がイラク人の車を検問してる時に遭遇し、目の前で両者が一触即発の状態になり、肝を冷やしたことも。「ちっちゃいちっちゃいことだけど、そういうことがいっぱいある」

「確かに占領軍との生活は厳しいと思う。そこに住む人達にとってはもっとキツイと思います。でも、子どもたちを見てると、アメリカが悪いと私は言えなかったんです。
なぜなら、
そう言えばイラク人は怒るから。彼らがもっと怒れば報復しようとしてしまう。現場にいる20歳前後の米軍も自分の身を守ることが精一杯。だから私はこう言います。「アメリカを憎むな。許せないなら無視しろ」。そうでないと、人道支援出来ない。どうしようもない」
テロリストの逮捕という名目で住民が殺戮されていく、その状況が生んでしまった武装集団に拘束された時のことは、「“私は家族と同胞の仇をとる。そして自分も死ぬ”と言ってなみなみならぬ覚悟を持っている人に私は必死に命乞いしていました」


非情にリアルな話でした。後味悪いですけど、この話に対する言葉が私にはまだ見つかりません。なので取り急ぎ。

追記:後味が悪いっていうのは、自分の中で感想とかがうまくまとまっていないからです〜。